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メッセージ
escher × 坂根厳夫
エッシャーに関するたくさんの書籍を翻訳してきた坂根巌夫さん。
日本にエッシャーを紹介した人のひとりです。坂根さんは新聞記者時代にオランダまで出かけてM.C.エッシャー本人に会いました。「ミラクル エッシャー展」の開催にあたりご自宅でお話を伺いました。

中学生くらいの頃から、科学や数学と芸術が好きで、特にその境界に興味を持っていました。大学に進学する時に、その両方が学べる建築家に進学しました。大学を卒業して就職するにあたり体調を崩していたこともあり、建築家になる事をあきらめ、朝日新聞に入社しました。学芸課に配属になり様々な国内外の様々な作家の作品を紙面で紹介していましたが、その中でエッシャーの存在を知りました。科学的(数学的)なものと芸術を融合させたエッシャーの作品はまさに私がずっと興味を持って求めていたもの。私はエッシャーに強い興味を持ちました。そして、私はエッシャーに関する記事をどんどん書いていきました。

1971年、夏休みを使って世界デザイン会議でウィーンにいく事にしました。せっかくヨーロッパを旅するので、私はオランダに足を延ばしてエッシャーに会おうと思いました。行ってみたら会える気がしていたんですね(笑)彼をつかまえるのは大変でしたが、芸術家のための老人ホームに入っているという事がわかり、訪ねて行ったんです。名刺を出して、話を聞きたいと言ったのですが、ちょうどでかけるところだったらしく、結局そこで立ち話でしたが、5分ほど話をしました。短い時間でしたがやっと会えたという事で僕は感動しました。具体的に何を話したか鮮明には覚えていないのですが、エッシャーからここには作品はないから、もし作品を見たいならハーグの美術館に行きなさいと言われたのを覚えてます。堅苦しい雰囲気はなく、非常に優しく紳士的に対応してくれました。

エッシャーの作品は、たとえば模様でも単純な幾何学的なものではなくトリックがあり、人物や建物などを写実的に描いていても、具象なのに実現できないものを表現している。作品にさまざまなパラドックスの表現が含まれています。いわゆる普通のアーティストには思いつかない構想。もう一歩踏み込んだ、構造のおもしろさを追求しようとしたところに彼の唯一無比な作家性を感じます。その表現はもしかしたらアートや芸術の定義からはみ出たものだったのかもしれません。だから、画廊や美術評論家にはなかなか評価されなかったのかもしれませんが、私にはそれが自分の思考力や想像力を喚起するものでした。

文系とか理系とか科学とか芸術とかそのようにカテゴライズされない世界があるのだという事を知っている人と知らない人は生きていくうえで価値観に差が出るのではないかと思います。エッシャーはまさにこの境界領域の象徴的な作家のひとりです。

エッシャーの作品は何度見ても新しいおもしろさが発見できます。その時の自分自身の興味とか好奇心とかを作品に照らし合わせると、おなじ作品でも世界がどんどん広がっていき、興味が膨らみます。

もし、現代にエッシャーが生きていたら、間違いなくコンピュータ―を使って彼の世界を柔軟に拡張させていったのではないかと思います。ただ、それは我々が想像するようなものではなく、逆に全く違ったスタイルの作品を創造したのではないかとも思うのです。(談)
坂根巌夫
Profile:坂根巌夫
IAMAS(情報科学芸術大学院大学、国際情報科学芸術アカデミー)名誉学長
多摩美術大学 美術学部 情報デザイン学科客員教授
1930年生まれ。朝日新聞社の記者を経て、慶應義塾大学環境情報学部教授、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー学長、ハーヴァード大学ニーマン・フェローなどを務める。『美の座標』『遊びの博物誌』『科学と芸術の間』など、サイエンスとアートに関する多数の著作がある。訳書として『エッシャーの宇宙』『エッシャー自己を語る-無限を求めて』『M.C.エッシャーその生涯と全作品集』『錯視芸術の先駆者たち』など。 新聞記者時代には芸術・科学・技術の境界領域をテーマに取材・執筆、評論活動を行ない、慶応義塾大学ではサイエンス・アート概論、環境芸術論、マルチメディア・ゼミなどを担当した。 また、芸術・科学・技術の境界領域の展覧会企画プロデュースに数多く携わってきた。
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《メタモルフォーゼⅡ》1939-1940年

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